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3冊以上出版されている方・TVに出られている方の商材製作所

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私は映像製作の会社を精神的・肉体的な問題により30歳で退職した後、まぁよくある話なんですが、自分探しの旅に出ました。

オンエアーでは観ていなかったのですが、猿岩石大先輩の“ユーラシア大陸横断”の本を、退職してからブックオフで手に入れたお陰で、

「あぁ自分もこんな風に、溢れんばかりの生命力で、たくましくワイルドに陸路を旅してみたいなぁ!」と思い、「よし、この期にオレも!」とアジア1人旅を決心しました。

2001年10月19日 バンコク行きの片道フライトチケットと33万円を持って、成田空港に向かいました。

最低1年間は帰国しない予定だったので、12ヶ月の海外保険に入りました。(ちなみに予防接種は5種7本打ちました。)


【2007年7月の今でこそ楽しく話せますが、当時は1年で帰国する事すら微妙な感じでした。ですが、とにかく1度帰国して、家族に将来の話をしに戻ってくる予定でいました。】


当時、本当に日本での生活が嫌で、辛く苦しかったです。

自殺は恐ろしくて考えた事はありませんが、常に「できる事なら事故にあって、あっけなく死にたい。」と思ってました。

特にひどい状態の時は、【日本沈没】を願ってしまうくらい、ネガティブパワー全開でした。


話を戻しますが、タイのバンコクに着き、翌日の行く先も決めないまま、駅近くの安宿に泊まりました。(ちなみに日本で立てた予定では、住み込みでボランティア活動できる所を泊まりながら旅をしていく予定でした。)


日本にいた時には、常に深刻な顔をしていて、「将来の死に場所探す」事をひとつの目標に脱出してきた私ですが、バンコクに着くや否や、「住めば都」の言葉通り、とても楽しくて、胸がワクワクして、頭はクラクラするほどでした。


バンコク→アユタヤ→バンコク→タオ島→ピピ島→バンコク…となぜか、観光&ダイビング三昧となり、毎日楽しくて、楽しくて、仕方ありませんでした。




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